田中 久美子

平成20年徳島大学卒業の田中久美子です。
私は高松市民病院と徳島大学病院で2年間の初期研修を行い、3年目から消化器内科に入局しました。どの科に進むべきか迷いましたが、全身を診ることができる内科医になりたいと思い、消化器内科を選びました。私が入局したとき同期は6人で、みんなに支えてもらいながら、また温かい先生方、後輩のみなさんの中で今までやってくることができました。卒後4年目に国立病院機構高知病院、5年目に徳島県立中央病院で勤務させていただき、一般内科から救急まで幅広く学ぶことができました。6年目から徳島大学病院に戻り、7年目の今年4月から卒後臨床研修センターで勤務させていただいております。
消化器内科の医局のいいところはやはりみんな仲が良く、和気あいあいとしているところだと思います。どこにいても、困った時に手を差し伸べてくれる先生や同期・後輩がいるのは、とても心強いことです。また内視鏡検査などの手技は、長く医師として働いていく上で役立つものだと思います。女性医師にもおすすめです。
今年から縁あって卒後臨床研修センターで勤務しておりますので、進路などについて何か悩みがあったら、気軽に声をかけてください。少しでも助けになれたらと思っています。

松本 早代

平成21年徳島大学卒業の松本早代です。
消化器内科特別プログラムを選択し、初期研修2年目から徳島大学病院消化器内科で勉強させて頂きました。3年目に正式に消化器内科へ入局、3年目の10月から5年目の9月までは関連病院である麻植協同病院へ勤務しました。麻植協同病院では初めての外来に戸惑い、知識不足を痛感し、緊急処置で自分の技術のなさや判断の遅さを嘆く毎日でした。そんな私に、先生方は遅くまで付き合い、厳しく熱心に指導して下さりました。5年目の10月からは大学病院へ戻り、関連病院で学んだことを少しでも役立てるよう、日々の診療に取り組んでいます。
臨床の場では、誰しも最初はつまずくことばかりで、誰かの助けを必要とする場面が何度もあります。その助けは、上級医であったり、同期や後輩であったりと様々ですが、どのような状況でも、必ず手を差し伸べて導いてくれる環境が消化器内科には備わっていると思います。
消化器内科を志す、熱い思いを持った皆さんをお待ちしています。

三井 康裕

平成21年徳島大学卒業の三井康裕です。
2年間の初期臨床研修を修了し、卒後3年目に徳島大学消化器内科学へ入局しました。入局当初は大小様々な疑問が多く、不安と隣り合わせの毎日でありながら、多くの方のサポートがあって乗り越えられました。特に、医局内に同世代あるいは卒業年度の近い先輩・後輩が多く、些細な事柄もすぐに皆で解決することができました。
さらに、臨床から生じた多くの疑問点を文献・資料検索→研究・検討へと繋げることで、病態に隠された真実を解明しうる環境が揃っていると感じています。ただ『診療をこなす』だけでなく、物事の考え方を学ぶことで『より深い診療』ができるのではないかと思います。『?』を『!』に変えたいと熱望する皆さんをお待ちしています。

岡崎 潤

平成22年徳島大学卒業の岡崎潤です。
初期研修1年目は他病院にて1年間研修した後、2年目は11か月の間、徳島大学病院消化器内科で研修を行いました。2年目でしたが積極的に診療に参加することができ、消化器内科疾患を多く診ることができました。卒後3年目で同消化器内科に入局しましたが、3年目より国立病院機構高知病院での勤務となりました。高知病院では消化器疾患はもちろん様々な内科疾患を経験しましたが、2年目の消化器内科での診療経験や、同門の上級医の先生方のサポートもあり、のびのびと診療をすることができました。4年目より再度大学病院での勤務となり、現在5年目ですが、初心を忘れないよう心がけ、日々の診療に取り組んでいます。
当科は医局の雰囲気がとても良く、診療の際に困ったことがあっても上級医に相談しやすい環境にあります。研修医や学生のみなさん、消化器内科に興味があれば是非一度、当科に見学に来てください。お待ちしてます!

宮本 佳彦

医師として働き始めてから早5年、消化器内科医としては3年目になりました。
僕は初期研修を徳島赤十字病院でお世話になりました。救急車のたくさん来る病院で、当直では吐きそうなほど忙しい思いもしましたが、おかげで救急疾患はたくさん経験でき、目の前で誰かが倒れても何かはできる医師になったと思います。その後、自分の専門として消化器内科を選択し、徳島大学の消化器内科に入局しました。
学生や研修医の時に自分の進路を決めるうえで悩むこととしては大きく、何科に進むか、そしてその次に医局に入るか入らないか、の2つがあると思います。
将来進む科の選択についてはやはり一生専門としてやっていく分野なので、自分が学問的に興味を持っているかどうかに尽きると思います。どんなに楽でも興味がなければやはりずっとはやっていけません。医局に入るか入らないかは人により考え方は違うと思いますが、少なくとも僕は入ってよかったと思っています。医局に入ることで無条件にたくさんの縦のつながり、横のつながりができます。その人のつながりはいろいろな場面できっと自分を助けてくれます。入局してからしんどいこともありましたが、医局って大きな家族みたいなもんです。自分が困っているときに周りに助けてくれる仲間がいることは本当に幸せなことだと思います。

岡田 泰行

平成22年徳島大学卒業の岡田泰行です。
初期研修は徳島大学消化器内科特別コースとして、1年目を札幌の斗南病院で研修を行い、2年目は1ヶ月の地域医療研修の後、11ヶ月を徳島大学消化器内科で研修を行いました。
斗南病院では、消化器内科高山教授の札幌医科大学第4内科先輩の近藤仁先生始め、多くの先生方の熱心な指導を受けました。また、初期研修医の2年目の徳島大学病院消化器内科では、消化器内科を目指す医師として、内視鏡検査・治療、最新の化学療法、肝臓癌の治療などに触れ、3年目で正式に消化器内科に入局し、同時に大学院に入りました。消化器内科に入ると、消化器内科のみの研修と思いがちですが、全身を診る医師になることを目指し、消化器疾患以外の病気も数多く診てきました。
また、入局後にはパート医として金曜日は川之江市の四国中央病院に出向き、午前中に上部消化管内視鏡検査十数件、後後に大腸内視鏡検査5~8件と、多くの内視鏡検査を行いました。
当科は、医局行事も豊富で、お花見、阿波踊り、野球大会、忘年会と、目白押しです。研修医や学生の皆さん、消化器内科で一緒に頑張りましょう!

影本 開三

平成23年徳島大学卒業の影本開三です。
私は消化器内科特別コースとして、1年目を札幌KKR医療センター斗南病院で、2年目は徳島大学消化器内科で11ヶ月の研修を行いました。2年目の大学研修では、初期研修医ではありますが一医局員として、一人前の消化器内科医となるべく様々な指導を受けました。研修医の段階で一般的な内視鏡検査・治療や消化器疾患治療を習得し、3年目は国立高知病院で1年間勤務をしました。その後は大学に戻り消化管、胆膵、肝臓それぞれのチームを再度ローテーションし、現在は消化管内視鏡治療を専門に勤務をしています。
私の場合は研修医2年目から消化器内科で研修するという一見変わった経歴を経ています。2年目をローテーションしないことで、全身を診ることができなくなってしまうのではないかという意見もあるかもしれませんがその心配はほとんどないと考えています。消化器内科は消化器疾患以外も含めた全身管理を常に必要とされる科です。また、化学療法など専門治療を行うにはそれだけではなく、感染症診療や緩和治療の高度な知識も必要になるため、学ぶ機会は十分にあります。将来希望する科を早期に選択することで高いモチベーションを保つことができ、これまで充実した研修をしてきた実感を持っています。消化器内科に興味のある人や志す人にとっての道標になれればと思います。興味がある人はぜひ声をかけてください。ともに働けることを心待ちにしています。

福家 慧

平成24年徳島大学卒業の福家慧です。
徳島大学病院 研修医プログラムを選択し、初期研修1年目を徳島大学病院、2年目は川崎医科大学付属病院救急部、徳島県立中央病院で勉強させて頂きました。3年目からの専門進路を考えた上で消化器領域の疾患の幅広さ奥深さ、また内視鏡手技・超音波手技・カテーテル手技に興味を持ち消化器内科を専門として選択し3年目に入局しました。
入局後は大学病院で半年間諸先生方に内視鏡の基本操作や病棟業務から始まり、文献による学術的な考察の基礎などを教えて頂いたのち、10月から1年半吉野川医療センター(旧:麻植協同病院)で勤務しました。吉野川医療センターでは初めての外来、緊急処置、多数の受持ち患者、 他科紹介、専門分野以外の多岐にわたる内科疾患などに日々苦悩する日々でした。しかし消化器内科の医局の先輩で吉野川センターで勤務する上司の先生方が遅くまで付き合い、厳しく熱心に指導して下さり1年半と短い間ではありましたが充実した日々を送ることができました。5年目の4月からは大学病院へ戻り現在医員として日常診療を行いながら、社会人大学院生として研究業務にも勤しむ日々を過ごしています。
まだまだ臨床や研究の場で壁にぶつかることばかりではありますが、消化器内科はいつでも医局員の先輩後輩、またコメディカルや研究員の方などが助け導いてくれる環境が整っており楽しく仕事ができています。当科は消化器内科を志す、熱い思いを持った皆さんをお待ちしています。

山本 加奈子

平成25年香川大学卒業の山本加奈子です。
私は初期研修医の2年間は徳島赤十字病院でお世話になりました。大学生の頃は専攻科を消化器内科、放射線科、病理の3つで決めかねていたので、最初は色々見てみよう!と思い徳島赤十字病院を選びました。研修医の2年間は当直をはじめ大変なこともありましたが、尊敬できる先生やかけがえのない同期や先輩・後輩にもめぐり逢うことができました。
2年間かけて、自分は何がしたいか、何が好きか考え、徳島大学消化器内科に入局しました。入局して直ぐの頃は戸惑うことも多かったですが、指導医の先生や同期に支えてもらいながら1年があっという間に過ぎていきました。消化器内科医局には困ったときにすぐ相談できる先生がたくさんおり、それはとてもありがたいことだと感じてします。学生や研修医のうちは進路でたくさん悩むこともあると思いますが、みなさんが興味あることに出会えるように応援しています。少しでも消化器内科に興味があればいつでも大歓迎ですので見学にいらしてくださいね!

山本 聖子

平成25年近畿大学卒業の山本聖子です。卒業を機に、出身地である徳島に帰ってきて徳島大学病院、徳島県立中央病院、田岡病院で研修医時代を過ごさせていただきました。
消化器内科では右も左も分からない1年目の4〜5月にお世話になりました。上級医の先生はとても優しい方ばかりで、カルテの使い方すらままならない私に色々なことを教えてくださり、研修医生活の土台を作っていただきました。入局を決めたのは、2年目の秋ごろでした。研修医を経て、消化器疾患に興味を持つようになり、また全身も診られるようになりたい、手技がしたいといった思いが強くなり、そんな自分の気持ちと一番合っている消化器内科に進むことを決めました。また、女性の先生が多く、お話しを聞かせていただくことで、自分の数年後の姿がとてもイメージしやすく、決め手の一つとなりました。
消化器内科へ入局してもうすぐ1年が経ちますが、日々自分の非力さを感じながらも、上級医の先生方が忙しい合間をぬって熱心にご指導してくださり、毎日充実した日々を過ごしています。
学生や研修医の皆さん、一緒に働ける日を楽しみにしております。

留学体験記 - 木村 哲夫

留学者:木村 哲夫
留学先:Weill Cornell Medical College(アメリカ ニューヨーク州)
留学期間:2012年4月~2014年3月

地方大学病院では色々な経験を積むチャンスが沢山あることをみなさんご存じでしょうか?海外留学もその一つであると思います。私は2012年春から二年間、米国ニューヨーク州、Weill Cornell Medical Collegeへ研究留学する機会を得ました。

留学を決めた時、大学病院内外の諸先輩から激励の言葉や様々なサポートを頂いて大変心強かったですし、医局には留学経験のある先輩ドクターが数多くいたので、細かなことまでアドバイスを貰え、スムーズに渡米することが出来ました。

留学先のボスであるAndrew J Dannenberg教授は、アメリカのCancer preventionの分野を牽引する第一人者で、彼の元で数多くの基礎研究やトランスレーショナルリサーチに関わる事が出来たことはとても良い経験となりました。もちろん、研究の世界にも競争が存在しますが、ラボの仲間は皆とても熱心にそして真摯に研究と向き合っており、そうした仲間たちと共に仕事が出来たことも幸運でした。

また、「今までの生活と全く異なる環境」に身を置く、と言う点も留学生活の醍醐味であると思います。私の場合も徳島では臨床現場で仕事をしていましたから、アメリカでの研究生活はとても大きな変化でした。特に職場があったニューヨーク・マンハッタンは、様々な人種・民族が暮らしており、彼らと共に仕事をしたり遊んだりする中で大小様々なカルチャーショックを受けました。渡米当初は戸惑う事も多かったですが、途中からはそういった国々と日本の文化の違いを見つけて、多少大袈裟に話し合う事が友人との会話の楽しみの一つになっていました。留学中に共に仕事をした仲間たちとは今でもメールなどで連絡を取り合っており、私にとって大きな財産となっています。

2014年4月から徳島大学・消化器内科に復職し、再び消化器疾患を中心とした臨床の現場で仕事をしていますが、留学中に経験した様々な価値観や相互の違いを理解しながら共に生活をするということは、実地臨床を行う上でプラスになっているのではないかと思っています。このように「消化器病」というキーワードを元に、地域医療から海外での研究まで一貫したプログラムの中で一人のドクターが経験を積むことが出来るのも、大学病院ならではの特徴ではないでしょうか。医学生・研修医の皆さんの中で、あれもしたいこれもしたいと欲張りな考えをお持ちの方には、実は大学病院はうってつけの施設かもしれません。そんな皆さんと共に仕事が出来る事を楽しみにしています。

留学体験記 - 岡本 耕一

留学者:岡本 耕一
留学先:Mayo clinic (アメリカ ミネソタ州)
留学期間:2013年4月~2015年3月

私が、アメリカ留学を漠然と考えはじめたのは留学する1~2年前でした。それまでの私は、朝から晩まで内視鏡診断治療、抗がん剤治療に従事する毎日で基礎研究や海外留学という言葉が無縁の人間でした。そのような私が高山教授よりアメリカ留学の話をいただいたのは、2011年末頃だったと記憶しています。人生一度は研究の本場であるアメリカで最先端の研究を学んでみたい!という熱い思いよりは、正直に言うと異国の地で暮らしてみたい!!という思いが強かったと思います(笑)。ただ、臨床畑で生きてきた私に海外での基礎研究ができるだろうか?英語がしゃべれない私がやっていけるだろうか?子供の学校の問題などにも不安があり悩んでいました。最終的に背中を押してくれたのは家族であり妻でした。また、大学病院内外の諸先輩から激励の言葉や様々なサポートを頂き、医局には留学経験のある先輩ドクターが数多くいたので、細かなことまでアドバイスを貰え、スムーズに渡米することが出来ました。

そして2013年春から2年間、米国ミネソタ州、Mayo clinicへ研究留学することとなりました。メイヨー・クリニックは、アメリカ合衆国ミネソタ州ロチェスターという人口10万人程度のアメリカの中では小規模の都市に本部を置く総合病院です。留学先のボスであるDr Frank A Sinicrope は消化器医であると共に、臨床腫瘍医でもあり常に臨床での経験、研究での基礎のデータを照らし合わせながら治療、研究を行っています。特に大腸癌に対する新規抗癌剤の効果をアポトーシスやオートファジーのsignal伝達機構の側面から研究していたり、癌個別化医療に向けた新たなバイオマーカーの検討を主な研究テーマとしています。当初は慣れない環境で苦労もありましたが、Lab memberと支えあいながら、すばらしい留学生活を経験することができました。

2015年4月から徳島大学・消化器内科に復職し、再び消化器疾患を中心とした臨床の現場で仕事をしていますが、海外留学での経験を少しでも研究や臨床、後輩に向けて還元できればと思います。医学生・研修医の皆さんの中で、海外留学に御興味のある方はいつでもご連絡ください。私にできる範囲でアドバイスさせていただきます。

留学体験記 - 郷司 敬洋

留学者:郷司敬洋(平成18年卒)
留学先:Weill Cornell Medical College(アメリカ ニューヨーク市)
留学期間:2014年3月〜2016年3月

 2014年春より2年間、米国ニューヨーク市にあるWeill Cornell Medical CollegeのDr. Andrew D. Danenberg研究室で、Visiting Fellowとして基礎研究を行いました。研究室のテーマは、“肥満・炎症と癌”です。特に最近では、癌促進物質製造所として認識されるようになった脂肪細胞、脂肪組織について研究しています。

 私の研究内容はおもにマウスワークでしたが、肥満マウスに食事摂取制限や運動を行うことで、脂肪組織局所の炎症や全身のサイトカイン等が減少せしめられるか、癌の発生や進行を遅らせるかどうかを研究していました。また、さらには分子生物学的な機序を解明することで、ダイエットや運動と同等な薬理学的な効果を見つけることも将来の目標です。

留学先はニューヨークという事で、ヤンキースのイチローやマー君、錦織圭のUS Open tennis決勝戦などを観戦することができ、有意義な休暇も過ごせました。しかし何より、熱意や信念をもった志の高い医学研究者と共に仕事をしたり交流することが出来て、自分自身の刺激になり、一方で自分の志の低さを感じることになりました。また、他の報道機関や金融関係の仕事に就く日本人や、あるいは価値観の全く違う世界中の人々と交流でき、世界の中心でもあるニューヨークで過ごせたという事は自分にとって大きな財産であり、これからの人生観や仕事観も大きく変わりました。

留学にあたって、研究室を紹介いただいた高山先生、留学手続きや生活のセットアップ等を手伝っていただいた前任者の木村先生には特に大変お世話になりました。

留学体験記 - 末内 辰尚、三井 康裕

留学者:末内 辰尚(平成21年卒)、三井 康裕(平成21年卒)
留学先:国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)
留学期間:末内 辰尚(2014年10月~12月)、三井 康裕(2015年1月~3月)

私たちはこれまで徳島大学病院および関連病院で消化器領域の様々な経験を積んできました。臨床腫瘍学、ことに消化管腫瘍における更なる臨床経験を積むため、高山教授をはじめ医局内外の先生方のご支援をいただきながら国立がん研究センター東病院(NCCHE)へ研修留学する機会をいただきました。

NCCHEでは消化管内科に所属し、数々の研究で本邦のみならず全世界的に活躍されている吉野孝之先生にご指導いただくことができました。また、所属チーム内には国内外で活躍されているスタッフの先生方、修練医・レジデントの先生方が多数おられ、数多くの知見・知識を背景として豊富な臨床経験をもとにしたご指導をいただくことができました。研修期間中はがん治療、とりわけ全身化学療法に携わることが多かったわけですが、常に患者目線で最高の治療を全人的に行う姿勢、また治療内容についても選択する根拠を含め理論構築を確実に行う姿勢に多く学びました。

加えて、NCCHEでは多くの臨床試験・治験が実施されており、がん疾患におけるevidenceの構築について特筆すべきものがあります。ただし、こういったevidenceは医師のみの力ではなく、それを支えるために多職種(看護師、薬剤師、栄養士、CRC、メディカルクラークなど)が多岐にわたって関与しており、また各人が高い志をもって業務に臨んでいる姿が非常に印象的でした。

総じて、常に最新の知見あるいは近未来における医学への貢献を視野に入れながら、過去のデータをもとに現在のベストを尽くす、この姿勢は今後の私たちの臨床姿勢に大きな影響を与えてくれたものと思います。

2015年度より再び四国の地に戻り診療業務にあたることとなります。この非常に貴重な、かけがえのない経験を力として今日の診療をより良いものと出来るよう精進して参りたいと思います。最後になりましたが、ご指導いただいた吉野先生はじめNCCHEのスタッフの皆様方、快く送り出していただいた高山教授はじめとする医局内外の先生方にこの場をお借りして厚く御礼申しあげます。

留学体験記 - 友成 哲

留学者:友成 哲(平成19年卒)
留学先:武蔵野赤十字病院(東京都武蔵野市)
留学期間:2016年1月〜3月

私はこれまで徳島大学病院や関連病院で肝疾患を中心に診療を行って参りましたが、この度高山教授をはじめ、医局の先輩方のご支援を賜り武蔵野赤十字病院 消化器内科で研修留学をする機会を与えて頂きました。

留学先の武蔵野赤十字病院では、副院長である泉並木先生のもとご指導頂きました。泉先生は日本のみならず世界の肝臓学を牽引する指導者であり、これまで学会や研究会で発表を拝聴し勉強させて頂いていた先生から、肝臓学を直接ご指導して頂く機会が得られたのは本当に貴重な経験になりました。

留学中は主に病棟医として診療に携わっておりましたが武蔵野赤十字病院では多忙な救急業務と平行して高度な肝疾患診療が行われていました。膨大な数の肝癌、肝炎症例を治療する傍らで、カンファレンスや日常診療で緻密なデータ保存と、正確な解析が行われており日本の肝臓学を牽引する施設の取り組みには非常に感銘を受けました。技術面では背景肝生検時に可能な症例はほぼ全例腹腔鏡を行っていたことから、内科では習得することが困難な腹腔鏡の技術や診断を学ぶことができました。またラジオ波焼灼療法の手技では安全かつ、正確に焼灼を行うためのGuide needleを用いた2step methodを教えて頂きました。


学年の近い医師も多く、各自専門とする肝疾患のテーマを持っており、数多くの全国学会、海外学会発表や論文作成、学会からの受賞をされていることに非常に刺激を受けました。徳島県では若手の肝臓医が少ないため、高いモチベーションを持って肝臓診療に臨んでいる同年代の医師に出会えたことが個人として一番の財産になったように感じています。
非常に緊張して研修日を迎えましたが、黒崎部長をはじめとした指導医の先生方には親切に指導して頂き、かけがえのない時間を過ごすことができました。指導医の先生方は診療のレベルが高いだけではなく、人格的にも素晴らしい方々ばかりで、尊敬できる先生方に出会えたことは幸運でした。これからは武蔵野赤十字病院で得た知識や技術、経験を医局や後輩に還元し、さらに徳島の医療に役立てるように発展させていくことが私の役割だと感じています。国内トップレベルの専門施設での留学を経験できることも医局の魅力であると改めて実感しています。医学生や研修医の先生方で興味をお持ちの方は是非ご連絡下さい。

留学体験記 - 三好 人正

留学者:三好 人正(平成20年卒)
留学先:Baylor University Medical Center at Dallas(アメリカ テキサス州)
留学期間:2015年5月~2017年3月

2015年春から2年間、米国テキサス州ダラスのベイラー大学メディカルセンター、GI Cancer Labへ研究留学する機会を頂きました。当研究室は、消化器癌におけるgenetic, epigeneticな変化を、様々な臨床サンプルを用いて解析し、新規バイオマーカーの確立とそのメカニズムの解明を目指しているところです。仕事内容は、研究テーマを一から考えることから始まり、実験計画、実験作業、論文作成すべて自分で行わなければなりません。


好奇心旺盛+前向き思考、目の前に面白そうな事があれば積極的に飛びつく性格の私は正直あまり後先考えずに米国まで来てしまいました。そのため、初めの頃は慣れない仕事環境の中、朝から夜中まで週末も返上して研究室にこもる毎日で本当に苦労しました。しかし少しずつ仕事が軌道に乗り出すと、徐々にラボの外の世界にも目を向けることが出来るようになり、最終的にはアメリカ生活の魅力にどっぷりとハマってしまいました。


旅をして日本とは全く違う風景や、壮大なスケールの大自然に感動したり、といった事はもちろん米国の魅力の1つなのですが、何よりもアメリカに来て一番良かったと思う点は、世界中の多種多様な人達と交流出来た事だと思っています。米国は実際に世界中から人々が集まる、いわゆる人種のるつぼでした。例えば、紛争や政治の混乱によって避難して来た中東やアフリカの人々、職を求めてやって来たメキシコやヨーロッパの人々などは私の周りにも沢山いましたし、そのような日本ではあまり馴染みのない国々の人と話したり、文化を交流する事が簡単に出来るのです。そして、アメリカの人々はどこに行っても皆笑顔で実にフレンドリーに接してくれます。身近な所でもしょっちゅうなんらかのイベントやパーティーが開催され、皆嬉々として楽しんでいます。アメリカ人は自分の人生を心から楽しんでいるように見え、そういう所は我々も見習うべきと思いました。

逆にアメリカで生活して私が一番感じた日本の素晴らしい所はなんと言っても医療サービスです。医療の質、きめ細やかなサービスに関しては日本の病院はアメリカとは比較にならない程素晴らしいのです。日本人のサービス精神や誠実な仕事ぶり、そして日本の医療保険制度は世界でも群を抜いているのではないでしょうか。我々が毎日当たり前のように行っている医療は実は世界に誇れる非常に稀有なものだと実感しました。


また、米国留学の目的の1つとして私もそうでしたが英語の上達があるかと思います。しかし、研究留学を2年程度経験したからといってバイリンガルになるのは正直難しいと思います。ただ、バイカルチャーになることは可能だと思います。異国の社会や文化を理解しそれに適応する事は、旅行などではなく、異文化にどっぷり浸かって生活してみないと難しいのではないでしょうか。日本では誰もが当たり前だと思っている事が外に出ると、実は全く逆のことが常識であったりという事はしばしばアメリカでも経験します。今まで日本で悩んでいた事が実は海外では本当に取るに足らない些細な事であった、ということもあるかもしれません。この様に色々な生き方、考え方を受け入れる柔軟な心を身につける訓練が出来た事は今後の自分の人生にとってプラスになるのではないかと思っています。


留学から得るものは十人十色だとは思います。そして必ず多かれ少なかれ挫折も味わうでしょう。しかし外の世界で学ぶことで得られるものは想像以上に大きく、そして想像以上に楽しいものでした。好奇心や探求心が旺盛な方、自分の世界観を広げたい方、異文化に興味がある方、新しい事にチャレンジしたい方、そういう方々には私は全力で留学をおすすめしたいと思います。海外留学に興味をお持ちの医学生、研修医の方々はいつでもmiyoshi.jinsei★tokushima-u.ac.jp(★を@に変えてください)までご連絡下さい。いつか皆さんと一緒に働けることを楽しみにしています。

留学体験記 - 田中 宏典

留学者:田中 宏典(平成22年卒)
留学先:武蔵野赤十字病院(東京都武蔵野市)
留学期間:2017年1月~3月

私はこれまで肝疾患を中心に診療を行ってきましたが、この度高山教授をはじめ、医局の先輩方のご支援をいただきながら武蔵野赤十字病院の消化器科で研修留学をする機会をいただきました。武蔵野赤十字病院では、院長の泉並木先生、消化器科部長の黒崎先生のもとご指導頂きました。


武蔵野赤十字病院消化器科は、地域の中核病院として消化器疾患全般の診療を行うとともに、全国から集まる肝疾患患者に対して最新の診療を提供している病院でした。私は主に病棟医として診療に携わり、造影超音波検査、腹腔鏡下肝生検、肝癌に対するラジオ波焼灼療法、消化器内視鏡検査等を経験させていただきました。造影超音波検査では肝腫瘍性病変の診断や悪性度の評価を詳細に行い、個々の症例に応じて治療方針を決定していました。腹腔鏡下肝生検ではこれまで慢性肝疾患の肝臓を直接観察することができ、肝臓病の評価に対する理解がより一層深まりました。ラジオ波焼灼療法では安全に治療するための2 step法を教えていただきました。

週に1回のカンファレンスでは入院患者の状態を全員でチェックして、適切な治療方針を決定しながら、慢性肝疾患や肝癌に関する膨大なデータの解析が行われていました。抄読会も週に1回行われており、最新の情報を全体で共有していることに感銘を受けました。研修期間中には全国赤十字病院肝疾患ネットワークの班会議や肝がん分子標的治療研究会に参加させていただき、日常業務で解析した最新データを発表している姿が非常に印象的でした。


武蔵野赤十字病院では多数の若い医師が働いていましたが、若手の医師でも日常の診療業務と、臨床研究・学会発表の両方を積極的に行っている姿が印象的でした。各自専門とする分野を持ち、地方での発表はもとより、数多くの全国学会、海外学会発表や論文作成を行っており、モチベーションの高さを実感しました。


泉院長、黒崎部長をはじめとした指導医の先生方には親切に指導して頂き、かけがえのない時間を過ごすことができました。すべての先生が非常に親しみやすく、研修業務で困ったことがあれば忙しい中でも丁寧かつ適切に答えていただきました。今後は武蔵野赤十字病院で得た技術、経験生かして徳島の医療技術を発展させていくことが私の役割だと感じています。数多くの国内トップレベルの病院で留学を経験できることも医局の魅力であると改めて実感しました。医学生や研修医の先生方で興味をお持ちの方は是非ご連絡下さい。

留学体験記 - 谷口 達哉

留学者:谷口 達哉
留学先:Albert Einstein College of Medicine, Liver Research Center(アメリカ ニューヨーク)
留学期間:2017年8月~2019年8月

2017年8月から2019年8月までニューヨークにあるAlbert Einstein College of MedicineのLiver Research Centerで Research Fellowとして留学させていただきました。Chief Director を務めるDr. Wolkoffのもとで「肝疾患におけるトランスポーター発現の変化と機能解析」についての研究に従事しました。トランスポーターは主に肝、腎、脳などの細胞膜上に存在し、タンパク質や薬物を代謝するために細胞内に取り込む重要な役割を担っています。トランスポーター発現の多寡には個人差があり、それにより薬物の効果や副作用が異なることが知られています。私の研究は、大学に保存されているヒト肝臓組織を使って種々のトランスポーター発現を解析し、その臨床的特徴を明らかにすることであり、幸いにも留学期間中にその解析手法を確立することができ、論文としてまとめることが出来ました。

留学前を振り返ってみると、想像できない異国での生活に不安ばかりが募り、留学すると決断したことが正しかったのか、渡米直前まで自問自答していました。留学された諸先輩方からは「迷ってるなら絶対行った方がいい。人生観が変わるから!」と言われていましたが、本当に自分が2年間やり通せるか自信が持てませんでした。しかし、留学を終えた今、間違いなく行ってよかったと断言できます。そして、「人生観が変わる」という当時は大袈裟に聞こえた言葉も、今は全くその通りだと強く実感しています。もちろん、海外生活ならではの悩みや苦労はありましたが、それも今となっては良い思い出となりました。海外で留学する醍醐味の1つは「カルチャーショック」ではないかと思います。私も他国の人達の考え方や習慣などに驚くことが多々あり、メディアを通じてでしか得られなかった情報を実際に経験し、自分なりの考えを持つことができました。また日本の文化に対しても留学前とは違った見方でとらえるようになりました。職場には中国人、インド人、ロシア人、ベネゼエラ人などの同僚がいて、互いに愚痴を言い合い、困ったときには助け合ったりして良い関係を築けたことは、とても貴重な財産となりました。約50年の長い医師人生の中で、2年くらい全く違う環境でチャレンジするのも悪くないのではないかと思います。もし、少しでも海外留学に興味があるのなら、恐れず飛び込んでみることをお勧めします。

私の留学していたニューヨークには全ての人のニーズに応えるあらゆるものがあり、日本同様に四季によって違った魅力をみせてくれます。また、私が研究していたアルバート・アインシュタイン医科大学はブロンクスにあり、観光名所で知られるマンハッタンとは異なる雰囲気があります。ヤンキー・スタジアム、広大な敷地のブロンクス動物園や植物園、安くて美味しいイタリアンフードが食べられるリトルイタリーなど見所がたくさんあります。治安の面も観光地は安全ですので、ニューヨークを訪れた時には是非ブロンクスまで足を延ばしてみてください。

留学体験記 - 岡田 泰行

留学者:岡田 泰行(平成22年卒)
留学先:City of Hope Beckman Research Institute(アメリカ カリフォルニア州)
留学期間:2019年5月~2020年9月

私は大学で臨床業務と基礎研究を行いながら先輩方が留学していくのをみて、徐々に自分自身も行ってみたいと思うようになりました。幸い、留学というチャンスをいただき1か月後には渡米というところまで来た時にアメリカの洗礼を受けました。ラボからのメールで、ラボが留学予定地であったダラスからロサンゼルスに引っ越すことになったからよろしくという内容でした。アメリカではラボの引っ越しというのは日常みたいです。不安の中、ダラス行きのチケットのキャンセル代を払いロサンゼルスへ渡米したことをいまでも覚えています。

私が留学したのは、アメリカ、カリフォルニア州にあるCity of Hope Beckman Research Instituteです。ロサンゼルスからやや北東に位置しており南カルフォルニアの年中心地よい気候で、湿度とは無縁の地域でした。12月のクリスマスから正月くらいを除いてほぼ夏のような体感でした。私が住んでいたPasadenaはメジャーリーグのドジャースの本拠地ドジャースタジアムから車で10分、1994年にアメリカワールドカップの決勝が行われたローズボールスタジアムがある観光地でした。ユニバーサルスタジオ、ディズニーランド、大谷翔平選手が所属するエンゼルススタジアムなど、どこに行くにも車で30分程度のアクセス抜群な地域でした。2028年にはロサンゼルスオリンピックが開催予定であり、ますます発展している印象でした。

私の留学したラボでは主に消化器癌のバイオマーカーについて研究を行います。世界各国から集めた莫大な臨床検体を用いて、様々な癌の診断、再発、予後などのマーカーを確立します。一般的にはボスからラボのプロジェクトの一部を手伝ったり任せられたりするのではないかと思います。しかし、ここのラボの特徴は自分で研究プロジェクトを企画、実験計画、論文作成などすべてを行います。そのため、論文ができればfirst authorにしてくれます。しかし、思うような結果が出ずクビになるポスドク、ハードワークに耐え切れず急に来なくなるポスドクがいたりとアメリカのシビアな研究事情を目撃しました。ラボメンバーは一人3-4つくらいのプロジェクトを並行して行っていきました。そして週1回のカンファで進捗状況を報告しますが、結果がないと大炎上しますので必死にデータを出しました。最初はうまく成果を出せずに人生ワーストと言っても過言ではないくらい挫折を味わいましたし、何度も帰国を考えるくらい悩みもしました。しかし、徐々に成果が出るとボスからReviewやgrantの仕事が回ってくるようになり、結果的には仕事量は増えましたが、ボスからの信頼も得られたのかなとポジティブにとらえ研究生活にも余裕ができアメリカ生活も楽しめだしました。

留学の目標は人それぞれと思います。しかし、希望するすべての人にチャンスがあるわけではありません。タイミングが合わない、行き先が見つからないなど行きたくても叶わないかもしれません。さらに昨今の世界情勢の変動により海外へ行くチャンスは難しくなってきているのではないでしょうか。しかし、留学するチャンスがあるならば、迷わず行くことをお勧めいたします。よく留学すると人生観が変わると言いますがその通りと思います。さまざまな国の人と交流することで考え方の違いなどよく実感しました。日本は何一つ不自由することがない、本当にすばらしい国だと思います。こう思えるようになったのは、私自身がアメリカに留学して、外から日本を見ることができたからかもしれません。何度も言いますが、チャンスを得た時は勇気を出してチャレンジしてみたらいいと思います。たとえその時は失敗だったと思っても、自分の大きな財産となることは間違いないと思います。

最後になりますが、このような機会をいただき高山教授をはじめ医局の先生方に厚く御礼申し上げます。